私(代表取締役 中川照將)の母である中川佐代子が平成元年に子宮癌と卵巣癌を併発し手術をしました。
当時は、抗癌剤の投与でしか治療方法が無く、仕方なく治療を行っていました。
抗癌剤の副作用は、みなさんご存知と思いますが、
髪の毛は抜け、抵抗力は落ち、激しい嘔吐を
繰り返していました。
嘔吐しているときは
「もう死んでしまった方が、楽なのかも」
とも思ったそうです。
その当時、私は大学で東京にいくことになり、妹は地元の大学へ行く時期でした。
母の看病は、主に妹がしてくれていました。母も女性ですので、抜け落ちた髪の毛やかつら姿を男性に見せたくないと、頑な私と父にその姿を見せようとしませんでした。
私自身は母の命はもう短いと覚悟を決めて、父や妹とそのような話をしたのを覚えています。
当時母が言った言葉で、後で笑い話になったので話せるのですが、その言葉が印象的で忘れることが出来ません。
私が、予備校帰りにお見舞いに行ったときに、
「大丈夫?」と母に声をかけたときに気の強い母は
「お前の嫁をいびるまでは死ねない」
と言ったのです。
母は、そんなことは言っていないと当時のことは覚えていないようでしたが、弱音を吐かずに癌治療と戦っていた母の姿を見て、
「この人本気で死にたくない。まだ生きたい。」とあきらめていないんだと強く感じました。
当時の病室は、6人部屋で、その中で仲良くなった一人の方(今でもお付き合いがあるのですが)と、
癌について・薬の副作用について・抗癌剤以外の治療方法はないか。。。
など生き残るための努力をしようと一緒に勉強をしそうです。
それから癌に効くよといわれる物はほとんど試したそうです。これも後日談なのですが、癌に効くといわれた物を購入して試した物などあわせるとらくに家一軒が買える金額を使ったと言っていました。
そんな姿を見ていましたが、平成21年5月に
プラチナフォトン
に出会って、母の癌治療に対する考え方が変わったそうです。
母は、
「こんなに良いものがあるのに知ってると知らないとでは、天と地ほどの違いがある」
とよく言っていました。
もうひとつ、母は後悔していることがあると言っていました。
先ほども話しましたがた、当時の6人部屋の人たちと定期的に集まって元気であることを確認しあっていたそうですが、年を重ねる毎に、一人亡くなり、二人亡くなりしていくなかで、その集まりは無くなったそうです。そのときに、いろんな情報を伝え切れなかったことに後悔しているらしく、「あの時一緒に勉強していれば助かった人も居るかもしれない」と話をしてくれました。
私自身も多くの体験を見てきた中で、
「この商品を多くの人に知ってもらって多くの人を助けたい」という母の想いを引き継ぎ
、事業として平成22年度健康事業部を立ち上げることを決意しました。
まずは、話を聞いてみてください。この商品を、使う・使わないは個人の判断にお任せします。
しつこい営業などは一切いたしません。
私たちの使命は、この商品の良さをみんなに理解してもらえるように努力し伝えていくことだと思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
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